橋田元ご夫妻について考える

2022年10月23日日曜日

考察 私の思考 報道

t f B! P L

はっきり言って見ず知らずの家庭の問題について

口を挟むべきことではないのは承知の上ではあるが


メディアが家庭連合叩きの材料としている為止む終えない


前の記事にも書いたが

父と母という立場で完全に意見が割れている


しかし大前提として、子どもを失った親という立場に変わりはない


どちらにしてみても親として痛恨の極みだろう

その痛みは察するに余りある


メディアはお母さんの意見は黙殺し

家庭連合が息子さんの命を奪ったという論調を繰り返し報じている


もはやそこには、まともなジャーナリズムなど存在しない


このような悲劇的な出来事を利用し家庭連合を叩く

それが最大の目的である


さて、問題はこの両者の意見が真っ向から対立している事だが


それぞれの立場で発せられるその言葉について

外部の人間がどちらが正か否かと言う判断を下すべきではない


自らの子どもを失った親の心情

また、それぞれの立場における子どもへの思いもあるだろう


我々もそうではあるが、子どもに対して

自分が正しいと思って行う行為であっても、必ずしもそれが正しい

結果を生み出すものではない


子育てとはそう言うものである


なのでそれぞれにそれぞれの正義があるのだ

例えそれが「家庭連合憎し」と言うバイアスが多分にかかっていたとしてもだ



だとすればどうやってこの問題を解決するべきか?


もし測ることができる要素があるとすれば、それは子どもへの思いの強さだろう

その指針となるのが、愛の反対は憎しみではなく無関心という言葉である


両者それぞれに亡くなったお子さんについて、産まれてからこれまでの聞き取りを行えば良いと思う

小さな頃はどんな子だったのか?どんな友達がいたのか?勉強は好きだったのか?好きな子はいたのか?

などこれまでの親子の歴史を色々な角度からそれぞれに聞いていけば良い


そうすれば、これまで子どもにどのように接してきたのか、ある程度判断できるだろう

またその行為がお子さんに、どの様な影響を与えてきたのかも見えてくるだろう


これは正否の判断ではない


子どもへの思いの強さを、過去にどの様に接してきたかで判断し

それを持ってどちらの意見を優先するかと言う事である


最初に書いたが

本来はあくまで家庭の問題である、外部の人間がとやかく言うべき

問題ではない


この問題で最も嫌悪するのは

痛む心につけ込み利用し、自分たちの主張を無理やり押し通そうと

するメディアの姿勢である。


彼らには人の血は流れていないのだろう。


明日の記事は

『改名しようなか』です。よかったらまた来てね!


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へにほんブログ村 哲学・思想ブログへ

 面白いと思っときだけポチッとね

自己紹介

自分の写真
家庭連合の休眠信者です。 休眠の定義は:七夕営業信者です。 どうぞよろしくお願いします。 信仰はゆるいです。
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ にほんブログ村 音楽ブログへ にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ にほんブログ村 音楽ブログ アコギへ にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 50代オヤジへ

Blog Archive

フォロワー

このブログを検索

  • ()

Labels

人気の投稿

QooQ