先日YouTubeにアップされたある動画を見て思い出しました。
そうだった、元々私は統一教会=宗教という感覚がかなり希薄だった。信仰的な素養があったわけでもないし、祈りとか礼拝とか神聖な世界に惹かれたというわけではない・・・
じゃぁなんで・・・やはり洗脳されてしまったのか?
統一教会って宗教団体でありながら、現実的な側面、神様を中心とした理想社会を実現すると言うリアルで明確なビジョンを持っていた。
私の中で一般の宗教が、ご利益とかそういった宗教に縋るようなイメージだったのが統一教会には全くそれを感じなかった。
と言うみ言葉に惹かれたのだろう。
神様を中心としてと言えば、文鮮明氏・統一教会を中心とした独裁的な社会という穿った見方をする人も多くいるだろうが、全く違う。
ここで言う神様は統一教会限定の神様ではなく全ての人類の親なる神様である。
統一教会は本来発展的解散を目指す団体である。
そもそも宗教とは神様と人類の切れた糸をつなぎ合わせるために時限的または二次的に作られた産物である。よってその役割・使命を果たせれば本来不要なものと考えているのだ。
神様の愛によって全ての人々が繋がった世界、そこに人種差別や飢餓、人間同士が殺しあう戦争など存在しない。そのような理想社会が実現ができると信じているのである。
なんともおめでたい話なのである。
なぜこんな絵空事を大真面目に信じてしまったのだろうか・・・。
私にとってのそれは、とある集会で語られた文氏の言葉である
それである
えっ!なにそれ?だろうが、そうなのだから仕方がない
その言葉に、この人の言葉に嘘はないと思ったのである。
まぁ洗脳されたと言えば洗脳されたんだろう。
この世的な価値観と引き換えに、人類史上誰一人として成し得なかった神様を中心とした地球一家族社会の実現という壮大なロマンを受け入れたのだ。
やはり私もかなりお花畑の人なのだなと、これを書きながら思っている。
がしかし、現実的な価値観に囚われすぎて、本質的な幸せを見失って生きるよりは、はるかに人間らしい生き方だと思っている。
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