家庭連合やその信者に対して、まるで親の仇かのように憎しみをぶつける人々がいます。
しかし、そこに社会正義はなく、信者を救うという大義もありません。
要するに、彼らは家庭連合が“ただ嫌いなだけ”なのです。
「私は茄子が嫌いだー」と叫んでいるのと同じです。
(ちなみに私は茄子が大好きです)
彼らの多くに共通するのが、
組織に対する批判と、信者個人に対する批判の区別がついていないという点です。
家庭連合に所属しているというだけで、まるで犯罪者のように扱う。
しかし、たとえ本当に犯罪者だったとしても、そこには一定の人権が保障されているはずです。
おそらく彼らは、
「家庭連合=悪の組織」
「それに立ち向かう自分たちは正義のヒーロー」
とでも思っているのでしょう。
しかし、人が人を裁くという行為は、本来極めて慎重に行われるべきものです。
実際、法の世界においても、判断を下すには数多くのハードルがあります。
そして、そうしたハードルを超えた人々でさえ、判断を誤ることもあるのです。
ましてや、自分の好き嫌いという、あまりにも小さな基準だけで他人を断罪するというのは、
極めて幼稚な精神構造としか言いようがありません。
「私は茄子が嫌いだ!だから茄子の生産者や団体を潰さ
なければならない」
まさに、彼らの思考はこのレベルなのです。
(繰り返しますが、私は茄子が大々大好きです)
その中には、自覚的にそれを行っている人もいれば、無自覚に流されている人もいるでしょう。
しかし私から見ると、どちらも哀れな人々に見えてしまいます。
反対のための反対ではなく、
誰かを救うための反対であれば、そこには方向性や意義を見いだせます。
けれども、ただ感情をぶつけるだけの反対活動は、
理不尽な駄々っ子と何ら変わらないのです。
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桃メンタルなので傷つかない程度でお願いします。