家庭連合への解散命令の請求は、実は今回が初めてではない。
これまでも幾度かの要求がなされたが、そのすべてが却下されてきた。
では、なぜ今回は解散命令が出されたのか?
そこには、「メディアに迎合した一国の首相」という存在がある。
メディアは、司法・立法・行政に次ぐ“第四の権力”と称されるほどの影響力を持つ。
その巨大な力に、行政府の長たる首相が屈した。これはまさに歴史の転換点である。
この日和りによって、左傾化したメディアは完全にタガが外れ、
「もはや我々の思い通りに世論を誘導できる」といわんばかりに暴走を始めた。
だが、時代はその暴走を止める手段をすでに用意していた。
それこそが、ソーシャルメディアである。
兵庫県知事選では、オールドメディアの露骨な報道姿勢に対し、
ソーシャルメディアが見事に「待った」をかけた。
この出来事は、情報の多元化が進みつつある時代の象徴と言える。
にもかかわらず、いまオールドメディアや行政内部では、
ソーシャルメディアに対する「規制」の議論が活発化している。
筆者が最近参加したある行政主催の会合でも、講師が一方的に
「SNSの危険性」を訴えていた。
だが、そこには決定的な視点が欠けていた。
――それは、「オールドメディアの責任」に対する問題意識である。
確かにソーシャルメディアには誤情報も多い。
しかし、それはテレビ・新聞など既存メディアも同じこと。
行政が情報リテラシーを啓蒙するならば、
どちらにも偏らず、両者の問題点を並列して示すべきである。
こうした行政の偏りの背景には、
既存メディアに“忖度”する政治屋たちの影響がある。
彼らは、いまだにメディアの影響力を恐れ、
自らの延命のために、その顔色をうかがっているのだ。
本来、放送法に照らせば、オールドメディアの今の姿勢は明らかに逸脱している。
何度も許しがたい報道が繰り返されてきたにもかかわらず、
それに対して声を上げる政治家は、これまでいなかった。
だが、ついに現れた。
メディアに諂わず、日和らない政治家たちが。
――それが「N党」である。
一国の首相がメディアに屈したこの時代において、
メディア改革はもはや待ったなしである。
果たして、N党はこの国の歪みを正し、
傾きかけた日本を救う「救国の政党」となれるだろうか?
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