お盆の時期がやってきました。
みなさま、お墓参りはもうお済みでしょうか。
一昨年、私の父が他界しました。
実は、いまだに遺骨は実家に置いたままになっています。これは墓仕舞いを考えてのことではなく、亡き父を身近に置いておきたいという、長男である兄の思いからです。
父の他界以降、一部の親族から「そろそろ墓仕舞いを」という声もありました。
私は何が何でも墓仕舞いに反対するわけではありません。正直なところ、真夏の炎天下での草取りや定期的な管理は年々厳しくなっていますし、現実的な負担も理解しています。
しかし、現時点での墓仕舞いには賛同できません。
お墓を維持することは、単なる遺骨の保管や供養の場を守ることだけではありません。
お盆やお彼岸に親族が集まり、先祖を偲び、語り合う。その行為は、故人への敬意だけでなく、親族同士の絆を再確認し、深める時間でもあります。
このような小さなコミュニティの結束が、地域社会、そして国全体の人のつながりを支えてきました。
日本はこうした家庭・地域のネットワークを基礎に発展してきた国です。
近年の墓仕舞いの多くは、「管理が大変」「費用がかかる」といった理由が中心です。
もちろん現実的な負担は軽く見るべきではありませんが、それだけの理由で伝統的な仕組みを手放してしまえば、結果的に家族や地域の結束を弱める方向に進んでしまいます。
私はこれを、世界的に進む「文化共産主義」の流れの一端と捉えることがあります。
文化共産主義とは、国家や思想の名のもとに、長年培われてきた家族・地域・宗教・伝統などのコミュニティを解体し、個人をバラバラにして管理しやすい社会構造へ誘導する思想です。
お墓や年中行事、冠婚葬祭などはその最前線にある文化的防波堤です。
もし墓仕舞いをすることで、管理の負担が減った分、より頻繁に親族が集まり、絆が深まるのであれば、それは「伝統の昇華」と言えます。
たとえば、合同供養塔や樹木葬を選びつつ、年に一度必ず親族で集まる場を設けるなど、形を変えても精神を守る方法はいくらでもあります。
大切なのは、「墓をどうするか」ではなく、先祖を敬い、親族が結束する文化をどう継承するかです。
今、墓仕舞いを考えている方も、そうでない方も、このお盆の時期に一度立ち止まり、
「自分の家族にとって、先祖を敬う文化をどう残していくのか」
を考えてみてはいかがでしょうか。
伝統は、ただ残すのではなく、より良い形へと昇華させてこそ、次の世代に生き続けます。
私も、両親や祖父母から受け継いだ文化を、可能な限り劣化させることなく、むしろ磨きをかけて継承していきたいと考えています。
0 件のコメント:
コメントを投稿
桃メンタルなので傷つかない程度でお願いします。