救いについて

2023年12月9日土曜日

強制改宗 私の思考

t f B! P L

贖罪とは?


先祖の悪い因縁があるから

この壺を買いなさい、本を買いなさい、高額な献金をしなさい。


所謂、霊感商法と言われる行為である。


正直なところ、お金を出せば救われるという理論は成り立たない。

それを言えば、金持ちしか救われないと言う理屈になってしまう。


そんな事は少し考えればわかりそうなものだが、

言葉巧みにその判断を鈍らせ、強制的にお金を出させる。


それが旧統一教会、家庭連合のやりくちであり、膨大な被害者を生み出しているらしい。


しかし。


全国弁連が発足した1987年当初、被害者と言える存在はたった一人だった。


まぁこれから膨大な被害者が出てくる事を前提にしたのだろう。


そして彼らがやった行為は、

反対牧師と結託し、拉致監禁による強制改宗と言う蛮行である。


その行為は到底人の行為とは思えない、非道の限りを尽くしながら、被害者救済と言う正義

の仮面を被り、人々を欺き続けているのである。


そして、彼らはその行為によって生じた悲劇に対しても、一切の責任を放棄し続けている。


まさに目的達成のためには手段を選ばない。共産主義者の所業である。




さて、本日のテーマは救いについてである。


家庭連合に高額な献金をした人々は果たして救われているのか?

その答えは簡単ではない。


自らのご先祖様が、他人様に多大な迷惑をかけ恨みを買っている。

それを精算しなくては子孫は幸せになれない。


因果応報である。


これは家庭連合のみならず多くの宗教が言っている事だろう。


しかし、このジャッジを正確に弾き出せる人など存在しないのである。


要するに死んでみないと分からないのだ。


私的には、献金行為自体が救いにつながるとは思っていない。

その行為を起点として、どの様な心を持ち、どの様な行いをしたのか?


教会の教義を信じ、教会に帰依することが救いに至る道だとは思っていない。


教会の教義を持って、近くは近隣の方々に奉仕し、

また、国を、世界を憂う心を持って日々生きていく事こそが、

本当の意味での救いに至る道ではないだろうか?


全国弁連によれば、家庭連合の被害者は現在のところ数千人規模らしいが、

その数を遥かに上回る現役信者、そしてこれまで家庭連合に少なからず接してきたと思われる

公称60万人近くの人々が、家庭連合がこれほどまでにひどいバッシングを受けながらも、

被害者として名乗りを上げないとすれば、

全国弁連のいう被害者は全体の1%にも満たないのではないのだろうか?


そしてその被害者は家庭連合による被害者ではなく、

拉致監禁により強制的に信仰を引き剥がされた方々であり、


本当の加害者は、

全国弁連であり、

人の道を逸脱した反対牧師であり、

それを煽り続けるメディアだろう。


なぜなら彼らは被害者に救いの道を解く、その術を知らないのだから。



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家庭連合の休眠信者です。 休眠の定義は:七夕営業信者です。 どうぞよろしくお願いします。 信仰はゆるいです。
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